12月生活報告
12月は師走らしく忙しい月でした。
気温が寒くなりましたが床暖房は温度調節しやすいのでありがたいです。
外出は3回しました。宝野公園関係のことが中心になりました。
(12月11日宝野公園がなくなり民間のサッカー協会が管理運営する有料サッカー場に変わる案を知る。)
12月12日宝野公園をいろんな場所からよくみて回りました。(写真は宝野公園・緑地・団地)
(12月15日宝野公園について市役所のホームページに私の意見投稿)
12月16日団地の誰でもカフェに参加しました。宝野公園についての私の意見をマイボイスで読み上げ。参加者10名が初めて知る。私の意見に賛同。
12月21日宝野公園問題情報共有ミーティングに参加
ALS再会と歌の世界は5回行いました。
12月11日58回名曲を歌う会 3年ぶりに再会。最後に「今日のひととき」を歌いました。
12月14日59回シィング 地域での歌の先生。4年ぶりに再会。パソコンを使っての表現に感動。
12月18日60回たまみプラス。「いつでも夢を」私の声が橋幸夫に似ていると。
12月21日61回ペアーズ 宝野公園意見交流。北川てつ歌「そんな町を」。
12月26日62回ピース 南退教 4年ぶりに再会の人も。たんぽぽの詩を作品展に出して依頼される。
元気な時は外の会場に出かけて一緒に歌っていた仲間が「しげるーむ」に訪問して歌ってくれるようになった。ALS療養生活の私への支援の気持ちありがたいです。
急遽登場した宝野公園を民間団体に貸し出す提案。(市役所への私の意見投稿の一部)
1 これまでの経過 私は今の住居に30年前に入居。前にある宝野公園の広がりのある眺望を見て終の棲家にしようと決めました。入居後、住居とサッカー場とがあまりにも近すぎることから間に緑地を作ること細かい土を大粒の赤い土に変えることが理事長など団地住民と市長など市当局との話し合いで決まり実行に移されました。30年間緑地とサッカー場と共に過ごしてきました。
2 赤い土のサッカー場兼住民が自由に使える公園
私は、朝のラジオ体操後宝野公園の赤い土と緑地のコースを歩いて回った。
赤い土の公園をいろんな人たちが利用している。
3 緑地は住宅とサッカー場が近くで存在することを可能にしている。
私は2年前からALSで呼吸器を付け自宅で療養生活をしている。
体の不自由な私は一日中宝野公園の緑地を見て過ごしている。
宝野公園の緑地を存続させていきたい。
民間提案は住宅の真ん中にある宝野公園をサッカー場は人工芝にしてフェンスで囲んで鍵をかけて有料で貸し出す。緑地の場所に大きなクラブハウスや関連施設を作る。
宝野公園をなくしてしまう提案です。私は地域の人と協力して宝野公園を存続させたいと思います。
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